自分の大切な人の為だったら怒ってもいいって理屈につけ込んでた時の話

僕がまだロボットデリヘルを経営する前、ガチガチの風俗狂いだった時の話です。

 

僕はSMプレイが好きでした。

ただSMってちゃんとやるのって結構体力使うんですよ。

端的に言うと段々と面倒になってくるんです。

 

SMって徐々に快楽を積み立てていって解放するっていうのが、まぁ所謂一般的な流れな訳ですが、僕とかは根っからのSM好きでもないので、そこの部分を端折りたくなってくる訳です。

 

ただ端折りたくても端折れないから、そういう風な文化として長い事愛されている訳です。SMっていうのは。

食事も本当に美味しいと感じたいんだったら、コンディションを整えて前菜から綺麗に食べていかないといけないと思うんです。
いきなり家系のラーメンをガッツリ食べても、それはそれで美味しいでしょうが、きっとMAXをひけるのはちゃんと準備をした方だと思うんです。

 

ただね、僕みたいな怠け者からすると、100点じゃなくてもいいから、毎日85点くらいのクオリティで楽しみたいなってなってくる訳です。

 

 

そこで考えたのが「相手を傷つける事」です。

相手が傷つく分には自分は傷つきません。
同じ分だけ心に傷が本当はついてるなんていうのは嘘です。

絵面とか雰囲気って凄く大切です。

 

それを相手の犠牲だけで賄おうとする行為。そこに情熱を注ぐようになってきました。

 

 

でも痛みっていうのはなかなか風俗ではやりにくい部分があります。
相手を傷つけてしまったら問題になりますしね。

 

そこで目を付けたのが心を傷つける事です。

言葉攻めでどれだけひどい事を言う事が出来るだろう、相手がどうやったら僕の話を聞いてくれるようになるだろう。という事でした。

 

まぁ色々試しました。容姿の事を悪くいってみたり、差別的な事をいってみたり、金銭的な事をいってみたり。

その中で圧倒的に相手の感情を揺さぶれる。そう確信したのは。

 

相手じゃなくて相手の大切にしている人の事を悪く言う事でした。

 

「私の事はいい、でも○○の事は悪く言わないで」

なんていってキレるシーンって結構ドラマでもプライベートでもあると思うんです。
ここで大切なのは、自分の為にキレるのはダメだけど、人の為にキレるのはなんとなく良い事な様な気がするって皆が錯覚している所です。
そんなはずはないんです。自分の事言われただけでキレてもいいし、人の為にキレなくても言い訳です。
ただ何となく、誰かの為って事になると人は熱くなっていいって風潮がある。

よしここにつけ込もうという風に考えました。

 

一時期は、どれだけ最短距離で女の子と仲良くなってその辺りの人物名を聞き出せるかという事に懸けていました。

全く風俗で金払って何をやってるのかって話です。

ただその何をやってるのか自分でもよく分かってない位が良くて、相手はもっと「こいつ何がしたいんだ」って思ってる訳です。
わからない事って人間恐怖を覚えます。
だから逆に良かったんですね。

 

相手が大切にしている人を悪く言うと、人間って目がギューとします。

 

一時期はその目を見つめながらずっとプレイしてました。

 

そのせいで女の子にNGくらいまくってましたが、NGくらってたって事は自分の中で「傷ついてくれた」ってお墨付きをもらえたような気がして嬉しかったものです。

 

懐かしい。

 

でも段々そういうのって飽きてくるんですよ。
パターンが似通ってきちゃったりするんですよね。そうすると興が冷めてくる訳です。
大体、相手の事なんてそんな短い時間でわかるはずないんですよ。それを無理に決めつけたり価値観を押し付けたりする事によって成立してる風にして興奮してただけですから。
SMプレイみたいにちゃんとした建設的な作業じゃない、プレハブの突貫工事ですから、すぐにダメになっちゃうわけです。

 

 

で、そうなってくると、風俗は呼びたいけど、更に相手に向き合いたくなくなってくるんです。

 

で思ってくるんです。

 

「もう俺も喋りたくないし、相手も喋らなきゃいいのに」って…

 

 

そんな絶望的な所からロボットデリヘルは生まれました。

自分に自信はなかったけど、その絶望の事は信じる事が出来たのでロボットデリヘルにお金と体力かけてみようって事に繋がるんです。

全く人生どうなるかわからないものです。

 

 

絶望に寄り添う風俗。ロボットデリヘルを皆様宜しくお願い致します。


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