仕事で大切なのは結果です。
極論を言えば、結果が出れば、別にサボってもよい訳です。
ただサボってると結果が出ないのでサボってはいけないという理屈です。
結果が全てです。
結果がよければ褒められ賞賛され、悪ければどれだけ頑張ってもクソの様に言われます。
それが仕事、商売の残酷な所であり、素敵な所です。
さて結果を出すためには効率が大切です。
ちゃんと前に進む形でペダルをこがなければいけない。
そのペダルのこぎ方が前への推進力に全ての力をかけるような動きになっているかというのが大切です。
このこぐ姿勢というのが悪いと、頑張っても、カロリーを使うだけで意味がありません。
そんな事を頑張るくらいだったら、立派な人の伝記でも読んでた方が100万倍マシです。
頑張るのであれば、必ず結果に結び付けなければならない。
要するに結果から逆算して【頑張る】という作業をしなければ意味がない訳です。
頑張るだけで褒められるのは頑張るというのが結果の学生時代だけです。
学生時代というのはその頑張りの練習をする時期なので、頑張りが結果でいいのです。
ただ大人は違います。その頑張りというのはあくまでも、結果を出すための過程なのです。
頑張りが評価されるのは頑張ってる人が素敵に見えるという人気取りの意味合い、それ以外は全て結果の為の過程です。
頑張りの効率が悪い人間というのはいつまでたっても成功しません。
頭でっかちのお宅みたいに御託を並べるのは上手になるかもしれませんが、人よりも特別な部分というのが出来ないという事なので、金になりません。
特別な部分がない人間はそれはそれで存在はしていてもいいのですが、仕事というカテゴリの中では日本語の出来ない外国人バイトと同じ程度の歯車でしかありません。
歯車になりたい人はそれはそれでいいと思います。
狡賢く計算しながら頑張りましょう、という事です。
頑張るというのは素敵な事です。
ただ本質は素敵だという部分ではなく、結果の為の過程にしか過ぎないんだ、という事を本当に理解しないといけません。
効率の悪い人間ってどうやったっています。
勉強しか出来ない人間や運動しか出来ない人間がいるのと同じ様な事です。
得意ジャンルで頑張ってもらうという采配が経営者には必要です。
そして経営する側は、自分の事など当然誰よりも効率よく働き、そして誰よりも効率よく生きているように見せないといけない。
そんな風に思います。
10の事をやる前に、その10の事を何のためにするのか。
それを考えようって話です。
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